『サンギャン―バリ島のトランス儀礼― vol.01<予祝と浄化>』
記録映画
2017年/47分
【撮影・録音年/地】
1995年〜2017年/インドネシア共和国バリ州
【協力】
イ=ニョマン=ドゥルパ(ドゥウィ=メカール芸術団主宰)
ニ=ニョマン=チプタ=ウィリアワティ
櫻田素子(Terang Bulan トゥラン・ブーラン芸術団主宰)
イ=クトゥット=スラトラ(サンギャン=ペニャリン世話役)
バパッ=シルル(タパカン=サンギャン=ペニャリン)サンギャンのダンサー
イ=クトゥット=アルダナ
イ=ワヤン=スシラ
【監督・撮影・録音・編集・制作】
春日聡
イ=ニョマン=ドゥルパ氏は2016年11月19日急逝されました
謹んでこの作品を御魂に捧げます
【サンギャン】
サンギャンとは祭祀儀礼、ダンス、採り物の名称。カミを指す用語サンヒャンとは峻別される。ジャワ=ヒンドゥー文化がバリ島に波及する以前から存在するとされる、バリ土着の祭祀儀礼。おもに非常事態時に行う祓魔儀礼と、随時行う祝祭儀礼の2通りの目的が確認され、いずれも人間、村落、世界の浄化が希求される。宗教人類学的な分類ではアニミズムとシャーマニズムの特徴を持つ。
憑依の起こり方にはまず大きく直接的/間接的憑依の2つに分類され、間接的憑依における媒介物の種類として生物を模した祭具/その他の祭具に分類できる。また身体における憑依状態の現れ方には全身/部分的の2つに分類できる。本作で示したペニャリン儀礼とクーテテル儀礼は「その他の祭具を用いた部分的憑依」の形式と言えよう。
サンギャンは10種類ほどが現存するとされ、かつて盛んだった頃は1つの村に20種類ほど確認されたこともある。
なおこれまで、降雨の場合サンギャン儀礼は一切催行されないというのが研究者間での通説だったが、本作に見るようにサンギャン儀礼の種類によっては豪雨のなかでも催行されるものがある。本作で示した聖水浄化を目的の1つとしたクーテテル儀礼の場合のように、カミの降臨、憑依とともに豪雨がはじまることは奇跡的な状況とされ、望外のよろこびとされている。実態を明らかにするには長期にわたる綿密なフィールドワークと慎重な検討が要されるのである。
今後の研究課題としては引き続き分布や催行状況の確認および伝承の収集を行い、今日的な状況と経年変化の再検討を進めるとともに、サンギャンと、今日広く催行されているバロンやランダの登場する儀礼劇などジャワ=ヒンドゥー的価値観の強い儀礼芸能や祭祀儀礼との関係性、サンギャン、バロン、ランダなどトランス儀礼に登場する超自然的存在の表象の相関関係や経年変化の再検討を進める。
以降続編
<vol.2 悪魔祓いと豊穣祈願>
■バングリ県のサンギャン=デリンとドゥダリ
■カランガスム県のサンギャン=ドゥダリとジャラン(インタビュー)
■ギアニャール県のサンギャン=ドゥダリ(インタビュー)
<vol.3 悪魔祓いと神威召還>
■クルンクン県のサンギャン=ジャランとナガ
■バングリ県のサンギャン=ジャンゲール=ムボールボル
■タバナン県のサンギャン=ムムディ(インタビュー)
『八重山のアンガマー』
記録映画
2017年/31分
【撮影】
2002~2004年
【撮影・監修】
坂本要
【編集・整音・音響マスタリング】
春日聡
◆解説
アンガマ―は旧7月13日~15日のソーロン(精霊祭―盆)に新仏の家に現れ供養をし、踊りと掛け合いの問答で新仏を楽しませる。
傘や仮面で顔を隠し素顔が分からないようにする。
あの世から来たもので声は裏声を使う。
祖霊ともされるが精霊ともとれる。
アンガマーの語源については母や姉を指すとされる。
他に家の萱上げや節祭にも踊られ、巻き踊りの事をアンガーともいう。
これは本土の女性の風流踊りに通ずるともされている。
『ンガベン —バリ島の葬送儀礼—』
記録映画
2017年/28分
【撮影年/地】
1998年/インドネシア共和国 バリ州バドゥン県 スンピディ慣習村 ルクルク集落
【協力】
イ=クトゥット=アルダナ
【監督・撮影・録音・編集・整音・制作】
春日 聡
◆解説
【死の儀礼】
死の儀礼をバリ=ヒンドゥーではピトラ・ヤドニャと呼び、祖霊にかかわる祭祀の意味である。次のような諸儀礼からなっている。
(1)遺体に対する浄化儀礼(土葬および直接火葬儀礼の前段/遺体保存のための処置の前段)(2)埋葬前後の儀礼(3)火葬儀礼(4)祖霊神格化の儀礼
スードラ階層の人の霊魂は火葬儀礼を受けることができれば天界に赴くことになり、神格化した祖霊として屋敷寺(サンガー)に祀られることになる。さらに浄化儀礼をかさねてもらえるなら、天界の階層、神格の格を上げてもらうこともできる。そしてあるとき、自らの家系に子孫として再生することになるのである。
【死者霊への配慮】
当面の土葬を行うにしろ、いきなり火葬儀礼を選ぶにせよ、葬儀の日時はウク暦の日柄と占星術によって選定される。〈魂は死が訪れたときにも惰性で体のそばでぐずぐずしていて、空にただよっていたり、そばの木の中に住みついたりしている〉。
【火葬儀礼(ンガベン)の催行状況】
1998年9月1日(火)葬儀の日時はウク暦の日柄と占星術によって選定される。ウク暦は古代ジャワから用いられてきた。7日×30週=210日で1年となる。今回のように遺体を土葬せず直接荼毘に付す形式はンガブアンという。被葬者は若くして急逝した。村の集会所でガムランの練習をした帰宅後容態が急変し寒気を訴えた。ミニャック・アンギンという、オイルを腹部のまわりに塗る処置をしたが、眠ったまま亡くなった。今回のように遺体が新しい状態の、ンガブアン儀礼では告別の要素が入ってくるため、儀礼内容が複雑になる。
◆制作ノート
1998年8月末、作者は民族誌調査で長期滞在中のバリ島において、インフォーマントの男性から「親戚が急死したので火葬儀礼を行う」という情報を得て本作品に見る火葬儀礼に参加した。場所はバリ州都デンパサールの北西部に位置する郊外の農村である。作者が観察・撮影できたのは火葬当日の午前中の儀礼から正午すぎの出棺を経て荼毘や浄化儀礼の終わる夕暮れまでの一連の儀礼催行状況である。
バリ島の火葬儀礼というと公開火葬、金箔、金紙や色布で荘厳した幾重にもかさなる高層を載せた巨大な御輿(輦台)や動物型の棺桶の行列、贅を尽くした祝祭の蕩尽というような印象が一般的には知られているが、それは僧侶(ブラーフマナ)、王族(サトリア)、貴族(ウェシア)などハイ・カーストのものであって、市井の人びとのものとはかけ離れたものである。本作品における火葬儀礼は一般カースト(スードラ)のものでなおかつ被葬者は急死であったので、儀礼の遂行上特有の状況が発生し、家族・親族やムラの人びとは臨機応変な対応に追われていた。
なお本作品はバリ島の都市田園部における比較的裕福な一般カースト(スードラ)家庭のケースであり、葬送儀礼には地域差、ムラごとの慣習の相違、カーストや経済力による差異などは当然ある。一概にバリの火葬儀礼といっても様々なケースがあり、儀礼の催行状況についても著しい差異が生じることを付言しておきたい。
『五島列島の盆の太鼓踊り(死者供養の芸能)』
記録映画
2017年/27分
【撮影年/地】
2014年/長崎県 五島市 福江島 嵯峨島
【協力】
上田浩一 大西ゆり 片岡優子 出口健太郎 日高茂和 吉田清彦
【エンディングテーマ(オルガン演奏)】
横川理彦
【監督・撮影・録音・編集・整音・制作】
春日聡
◆解説
五島列島における盆の太鼓踊りは、盆に各地の人びとが腹部ないしは腰部に吊った太鼓を叩き、念仏由来の詞章を唱えながら鉦に合わせて踊るもので、「チャンココ(福江)」「オネオンデ(富江)」「カケ(玉之浦)」「オーモンデー(嵯峨島)」「カンココ(上五島・有川)」「カインココ」など、呼称は地域によって異なるが芸態などは基本的には共通していて同系統の芸能である。江戸期には盆に各地区が共同で踊の組を組んで福江城下に赴き、五島藩主の御覧に供されて、代々の藩主の庇護を受けてきた。
チャンココの伝えられる福江島とオーモンデーの伝えられる嵯峨島は五島列島でもっとも西に位置する天涯の地である。その島の果て、五島市三井楽(みいらく)の地は、「肥前国風土記」に「美弥良久(みみらく、みねらく)の崎」として登場するほか、藤原道綱の母の『蜻蛉日記』に死者に会える地としても登場する。美弥良久は遣唐使の日本における最終寄港地だった。遣唐使たちはこの柏崎を日本の見納めとし、決死の覚悟で東シナ海へと漕ぎ出していった。
天涯の地、五島列島には盆の太鼓踊りが伝えられるとともに、キリシタンたちが守った教会群では今日も熱心に祈りが捧げられており、厳しい自然と共存するなか多様な祈りを伝えてきた五島の人びとがいる。五島列島の盆の太鼓踊りはそうした篤い信仰心が表出し、身ぶりや響きとなって伝えられてきたものに他ならない。
現在は島外に出た若者たちが祭りの時だけ帰省し短い練習をしただけで踊りや演奏に参加する機会も増えた。真夏の炎天下もしくは荒天であっても盆の太鼓踊りは一日中家々や商店、墓所などを巡って踊られる。
本作品ではそうした現況を映像で捉え、共有することで、祖霊への慰霊とともに若者芸としての側面もあり若者組「掛(カケ)」の結束を原動力とする盆の太鼓踊りの伝承と変容状況における考察の一助としたい。
『Kodai』
映像作品
2015年/7分
【作曲、演奏】
福岡ユタカ
【映像】
春日聡
◆作品概要
奈良県立万葉文化館第8回委託共同研究『日本列島の古代における音の超越性 ~祭祀芸能の比較研究と音楽・映像による実践的研究の視座から~』の成果のひとつとして制作。記録映像作品集成(附録Blu-rayディスク)の1曲目に収録したテーマ曲ムービー。
『スカラ=ニスカラ
—バリの音と陶酔の共鳴—』
映像作品
2013年/57分
【撮影・録音年/地】
1992年〜2008年/インドネシア共和国バリ州
【監督・撮影・録音・編集・製作・ナレーション】
春日聡
【音響マスタリング】
久保田麻琴
16:9(4:3ピラーボックス)/HD/L-PCMステレオ/インドネシア語・バリ語/日本語字幕/カラー/2012年(2013年HDリマスタリング)
◆作品概要
バリ各地の寺院や村落の祭祀儀礼で行われる多様なトランス・ダンスと、コスモロジーにおける五大元素「地、水、火、風、空」をモチーフにしたサウンド・スケープで織りなす映像・音響民族誌。「Sekala
Niskala」とはバリ語で「可視の存在、不可視の存在」の意味である。寺院や村落の祭祀儀礼の場において人びとは「大いなる力」を感得し、自らの深奥に呼び入れ、交ざりあう。そこで重要な役割を果たすのが音である。ゆれ動く自然が発する音、人びとの奏でる音、人びとの発する声。そうした「響き」と「身ぶり」が溶け合う中、人びとは何かに突き動かされるように心の奥深くまで降りていき、陶酔状態となり、神々や精霊を受け入れようとみずからの全身、あるいは身体の一部、あるいは心そのものを明け渡し、大いなる力との交流を果たすのである。
本作ではバリ各地に伝わる「サンギャン」という古い形態から「チャロナラン劇」という比較的新しい形態までトランス・ダンスのヴァリエーションを取り上げ、バリ=ヒンドゥー文化における神懸かりの意味を、ホリスティックな響きの中に探る。
◆解説
バリ随一の瞑想の聖地、古刹「グヌン・カウィ」の磐座にコンクリート・マイクを接触させる際のノイズから始まる本作のサウンド・トラックは、すべてDVカムコーダー(Canon MV-1)、DV-CAMカムコーダー(SONY
PD-150)の同時録音音声および、DATによる別録りの現場音声のみで構成している。2005年以降はフラッシュメモリに記録する形式のデジタル・レコーダを導入した。
録音音声は多くの場合において単一で使用しているが、シーンによっては多重化している場合もあり、その判断には制作上の意図がある。
フィールドではカムコーダーでの撮影、DATやレコーダでの録音、35mmや中判フィルムでの写真撮影すべてを一人で同時におこなっている。
意図したのはバリにおける豊饒で複雑な音の響きを、精密にかつ詩的に描くことである。無声映画の逆で、画像を消してサウンド・トラックだけの聴取にも堪えうる音響作品を目指した。
本作は東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程平成22年度博士審査に博士論文『《陶酔のテクノロジー》──バリ島の祭祀儀礼を中心とした音の民族誌の視座から──』とともに提出した博士審査作品をベースにして、再制作したものである。
テクストで記述可能なひとつひとつの儀礼の意味や目的、あるいは風土慣習の説明は博士論文で論述した。それらについては本作では可能な限り排し、ただ消え去るしかない音の場、およびトランスの起きている場の全身感覚的な再現を優先した。それがまた同時に民族誌記録となるような、微妙なバランスの中で構成表現を行うことがここでは重要となった。
民族誌は真正性や指標性を充分に考慮して作られる。一方、動く絵である映像およびその体験は刻々と変化するきわめて感覚的で流動的なものである。そうであれば民族誌として記録された映像は、編集などのポストプロダクションを経る際、真正性や指標性を重視されたながらも、加工/未加工映像の連続したひとつの流動体になる可能性を獲得するのである。
クレッシェンドから無音への急激な移行、時折表れるストップ・モーション、スローモーションとクイックモーション、万華鏡のようなエフェクトやグリッチな反復といったギミックは時間軸に作用し知覚を揺さぶるので、映像体験で感じる冗長性から鑑賞者を解放させ、感覚を更新する効果をもたらすかもしれない。
これらの映像ならではの仕掛けが、実写映像のもつ強度やホログラフィックなサウンド・トラックと相まって、具象の連続体が抽象を浮かび上がらせるような流れを作り出す。その中から、神や精霊が憑依したトランス・ダンサーの精神が映像を通して鑑賞者に憑依してくるかのような「シネ・トランス」が立ち上がり、被撮影者、撮影者、鑑賞者の三者はそれを共有するのである。
『RUANG TUBUH』
ダンスの音楽
2013年 音楽実験室 新世界
【作曲 ライヴ・エレクトロニクス】
春日聡
◆作品概要
ジャワ舞踊のRiantoとモダンバレエの池田聖子のパフォーマンスのためのライヴエレクトロニクス。
『fresh ruin ~Tiny Japanese Tea Blend~』
ビデオ・インスタレーション
「EXHIBITION FROM"HOMAM",2007」展 2007年 旧マッケンジー邸(静岡)
◆作品概要
静岡茶をはじめて世界に輸出したアメリカ人実業家マッケンジー夫妻の旧邸(静岡市駿河区高松)で開いたささやかなグループ展での出品作品。
本作は日本の開闢神話、環太平洋地域の津波の記憶をモチーフに、茶葉でできたオブジェが溶けたり浮遊しながら語る寓話的な映像作品。音楽は隠岐島前神楽。
『morphonia ver.2.0』
サウンド・インスタレーション
「n_extネクスト_メディア・アートの新世代」展 2004年 ICCインターコミュニケーションセンター(東京)
◆作品概要
東京オペラシティビルの建築空間に多種のマイクを仕込み、空気および固体振動をリアルタイムに収集。
デジタル・ドメインでオーディオ・ヴィジュアルの信号に変換し、展示空間に送出。
空間では光(映像)の明滅、ワイヤレス・ヘッドフォンからの断続的なノイズ、水面のゆらぎなどを体感できるが、展示空間内をさまよう体験者の移動がセンサリングされ、デジタル・ドメインにフィードバックし、光や音の成分やミキシングに影響するパラメータとなり、それらをさらに変容させる。
体験者は展示空間内で音源や生成変化の仕組みなどを探そうとするが、確かなものはほとんど探し当てることが出来ず、白濁した空間をさまよい歩く。
建築空間の発する無数の振動に人が介入することによって、その場自体が流動的に変容してゆくインスタレーション。
映画『ストーカー』(1979年/アンドレイ・タルコフスキー監督)の「ゾーン」へのオマージュ。
『L.D.F.X.(シリーズ)』
サウンド・インスタレーション、ビデオ・インスタレーション
「listening dream floor~超気配主義」展 2002年 神奈川県民ホールギャラリー
◆作品概要
「気配を超えたところで出会うこと」をテーマにしたグループ展での出品作品。
原案、共同キュレーション、映像・音響インスタレーションの展示、アーティストブックの執筆、編集を行った。
展示作家:沼田元気、笠原出、小林正人、砂沢ビッキ、春日聡。
『Horizontal Oscillate』
ビデオ・インスタレーション
「listening dream floor~超気配主義」展 2002年 神奈川県民ホールギャラリー
『topophonia』
サウンド・インスタレーション
「かながわアートアニュアル2001」展 2001年 神奈川県民ホールギャラリー
◆解説
春日聡作品の空間に入ると、「瞬間」に出会う。それは、身体の記憶に直結し、感覚的なとらえ方しかできない波長が、快く身体のなかに流れ込んできたような感じである。春日は民族文化の記録調査(フィールドワーク)での体験を、レンズやステレオというエレクトリックなしかけを用いて加工し、ひとつの音環境を設定する。作品空間は春日が主体的にデザインした音環境という聖地である。この環境の中を体験する者は、自身の行動や移動が周りの環境と結びつき、時間や空間を変化させてゆくという非常に日常的なことを意識する。ヘッドホーンで耳から入る音(聴覚)とスクリーンに映る映像(視覚)が連動しており、さらに体験者が移動することで赤外線センサーが反応し、ストロボが発光し、マイクを揺らす。そして、低音のさざめきは水の波紋を作り出す。1歩脚を動かすこと(エネルギーの移動)が音環境と能動的に結びつき、つぎの情報を形作って空間をかえてゆく。外(音、映像)と内(記憶、意識)とのインタラクティヴな体験は、身体の感覚(センサー)の汚れを落とし、ストレスに侵された身体に浄化をもたらす。見て、体験して、ゆっくり身体で受け止めてみて欲しい。
(松尾こなぎ、神奈川県民ホールギャラリー学芸員)
本作をスタートに
『morphonia』(「私にできること~みる きく ふれるの探検展」2001年、府中市美術館)
『topophonia 2002』(「電子芸術国際会議 ISEA2002年 名古屋」)
『morphonia ver.2.0』(「n_ext メディア・アートの新世代展」2004年、NTTインターコミュニケーションセンター [ICC])
へとシリーズ展開する。
『キャラクター・P 終の住処』
サウンド・インスタレーション
「日本ゼロ年」展 1999~2000年 水戸芸術館現代美術センター
◆作品概要
東松照明による写真インスタレーションでの音響。
「電子音響」「ニュースの音」「性交渉の音」の使用というリクエスト。